生理学者を求む (堀 哲郎)

九州大学大学院・医学研究院・統合生理学分野 堀 哲郎

 「生理学は、生体機能について還元主義的分析と全体論的統合の両方向を同時に見る生物科学のJANUSである」というのが我々の共通認識である。前者を得意とする分子生物学に比べ、生理学は若い人に魅力がないとよく取沙汰される。しかし、最近、生体の統合機能の重要性が再認識されつつある兆候を、いくつか耳にする。例えば、ポスドクや製薬会社の研究所の求人状況、さらに、分子生理学の教育を受けた若い人の中にも統合機能の研究を目指す人達が出てきた、などである。もちろん、従来型のin vivo研究者のままではだめで、要求されるのは、multidisciplinaryな素養と思考法を身につけたレオナルド・ダ・ヴィンチ型の人材である。それに最も近いのは生理学の基礎を身につけた者ではないだろうか。事実、筆者が関係しているNeuroimmunomodulation(神経・免疫調節)では、生理学、解剖学、生化学、免疫学、病理学、微生物学、臨床医学、行動科学などが専門であった研究者が集まっているが、統合機能になると、生理学がものをいう。どの分野出身でも、分子生物学技術も含め、他の領域の基本的知識は身につけ、細分化した研究領域を自由に横断して考え、研究する、あるいは従来の専門分野では分類できない総合的な生物科学者が若い世代に出現しつつある。

では、どのようにして人材を育成するか。これは深刻な問題を含む。まず第一に、学生の資質の急激な変化(分数、少数の計算が出来ない者もいるという学力の低下。思考力、集中力の低下など)である。これは初等教育の空洞化、受験体制などに起因すると思われるが、さらに、2002年に実施予定の「ゆとり」教育推進をうたった新課程の導入はこれに拍車をかけ、日本の初中等教育の基本的機能を破壊すると危惧され、いくつかの学会が阻止の声を挙げている。第二に、少子化による学生の買い手市場になる大学がその使命感を失う危険性である。学生の教育や研究者の養成(すなわち、製品の品質管理)が不良な大学は市場原理が働き、結局、排除されると期待されるが、どのような卒業生を社会が望むかその価値観にもよる。第三に、創造性が出にくい現状である。戦後の画一教育の行き過ぎの結果が徐々に顕在化し、個性のある独創的研究の芽が出る条件を摘んでいる。よく指摘されるように、大学でも研究は流行や即効性を追い、あるいは受験秀才型研究が尊重される1)。海外の流行に惑わされ、あるいは確立された建築に、いち早く入って、その柱に精細な彫刻を施すような研究が幅を利かせる。かといって、日本人には独創性がないというのは誤りで、いちいち例を挙げないが、2000年に近い歴史を見れば、独創性は充分あることがわかるはずである。実際、そのような例を知るにつけ、上記よりも悪い条件下でも独創性を発揮する人間は出てくるものだと悟らされる。

ここで、生理学者になる人材の求人広告を出してみる、「求む、生理学を目指す人。困難な仕事。僅かな報酬。厳しい環境。ストレスに満ちた長い日々。多少の身体的危険あり。成功の確率の保証なし。成功の暁には名声と賞賛を得る(但し、限られた時間と限られた人々の間で)」。殆どの人にとってこれはお笑い草であろう。しかし、この文は1900年、南極探検家シャックルトン卿がロンドンの新聞に出した求人広告をもじっただけである。“MEN WANTED for Hazardous Journey. Small wages, bitter cold, long months of complete darkness, constant danger, safe return doubtful. Honor and recognition in case of success-Ernest Shackleton.”この広告への反応は、すざまじく新聞社に問い合わせが殺到した2)。ついでながら、当時、白瀬探検隊が、政府援助もなく、南極点一番乗りに挑戦している。「仕事がきつくて危険を伴うのに、報酬が低い、冗談じゃない」という人は初めから期待していない。経済的なことも大事だが、それを超える価値があるかもしれないと考える人を求めているのである。さらに、誤解を恐れずに言えば、現代日本人から失われつつある気概を求めているのである。

気概や自負心のない所に、個は確立しない。個が確立していない所には独創性は生まれない。情報遮断による夜郎自大は困るが、隣に建った偉大に見える建築物にたじろぐことはない。この欄で岡田(泰)及び永坂両教授が示唆されたように(日生誌58(9)、59(3))、夢のある仮説を建てよう。精神主義を鼓吹するつもりはないが、困難な状況や対決を自分で何とかする気骨、気概を有することが独創性の基本条件であり、そこで初めて研究や考えることの楽しさが生まれる。日本生理学会には、研究の多様性、権威主義的でない自由な論争と研究を楽しむ伝統があり、独創的な人材を輩出できると自信をもってよい。そしてこの楽しさを大いに、宣伝すべきである。

1) 西沢潤一「独創性失った日本」朝日新聞(94年2月6日)
2) 天野祐吉「もっと面白い広告」筑摩書房、1989