名古屋市立大学医学部第二生理学教室 西野仁雄
昨年12月に、バナーラスで開かれた第10回インド生理学会に出席し、インドを旅する機会があった。その際、機内の座席に配布されている小冊子に 興味ある記事を見つけた。それはチベット仏教と近代物理学の奇妙な類似点について述べている小文である。 チベット仏教では、“nothing exists in itself or by itself as a separate unit, but is dependent on a variety of conditions and related to everything else in the world‥‥‥” と考えられているようで、一方近代物理学のQuantum Theory では、 “An elementary particle is not an independently existing unanalysable entity. It is, in essence, a set of relationships that reach outword to other things” と考えられているという。
このような発想は「生理学」の考え方、研究方法そのものではなかろうか。生理学では個々の細胞あるいは細胞下の生理及び生物物理現象の解析からは じまり、細胞の集団としての組織や器官のはたらき、さらには器官系を経て最終的に個体のもつ機能を解明していく。逆に個体の機能を細胞あるいは細胞下のレ ベルに還元してその成り立ちを解析する。チベット仏教、近代物理学、生物学、ちょっと奇妙な組み合わせではあるが、基本的な考えには共通するものがあるの だろう。
しかし、現状はどうであろうか。生理学の研究対象分野がすごく拡大するとともに、一方で非常に細分化、専門家したため、各研究者はそれぞれの分野 における課題を解決するために、一定の方法論を使って悪戦苦闘していて、仲々全体像を描くところ迄は至らないというのが現状ではなかろうか。そしてこのよ うな傾向は今後益々加速されるものと予想される。
生理学の面白さ、楽しさは、個々の細胞の現象が個体レベルで、また個体機能が一つの細胞レベルで論じられ、橋渡しされるところにあるのであって、 この視点が欠落すればもはや生理学とはいえなくなるだろう。我々生理学教育に携わるものとしては、生理学のもつこのような面白さ、楽しさをいかに学部学 生、大学院学生ぶつけることができるか、また感じさせることができるかであろう。
研究の手法や技術は日進月歩で、時代とともに移り変わる。それらの技術を十分に活用し、常に個体レベルに立ち帰って生物機能の成立つ仕組みを追求するという生理学の研究姿勢を持ちつづけるならば、21世紀において新しい飛躍があると考えられる。