生命哲学としての生理学 (森本武利)

京都府立医科大学第一生理学教室 森本武利

 医学領域のノーベル賞を、日本ではノーベル医学賞、ないしは医学・生理学賞と呼ぶことが多いが、英文ではNobel Prize in Physiology or Medicine である。これは、Alfred Nobelの遺言の中で、5つの分野の一つとして“the most important discovery within the domain of physiology or medicine”という言葉が使われているためと考えられる。 Nobelが亡くなった19世紀末は丁度微生物ハンテイングが華やかな時代で、ホルモンハンテイングが始まろうとしていた時期に相当する。しかし physiologyが基礎医学の代表としてmedicineすなわち治療医学と対等に扱われている。

Physiologyの語源であるギリシャ語のphysisは起源ないしは自然の意味を持つ。またラテン語の辞書ではphysiologiaには 生理学のほかに自然についての知識および自然哲学という意味がある。すなわちphysiologyは基礎医学を包含した言葉であり、この語源を用いている 言語圏の人たちにとっては、physiology or medicineという語には何ら抵抗がないのではなかろうか。そしてたとえ遺伝子ハンテイングの時代となり、分子生物学の時代となってもこの語を変更す ることは問題にはならないのであろう。

医学の歴史を遡るとき、医学を方向付ける多くの概念が、生理学者によって提供されてきている。実験医学は370年前のW.Harveyによる循環 の概念にまで遡ることが出来ることはいうまでもない。C.Bernardのmilieu interieurは 130年前、Starlingの法則およびホルモンの概念は100年前、W.Cannonのhomeostasisの概念は60年前より医学分野に無くて はならない概念である。これらはいずれもimpact factorのような過去2年のスケールで計られるものでは無い。Japanese Journal of Physiologyのcitation half lifeが長い所以でもある。

生理学に要求されるのは、素子の生理学に加え、それを体系付け研究を方向付ける哲学であろう。基礎の研究者のみならず、臨床やコメデイカルの研究者にとっても、生理学は不可欠の分野であり、生体機能の解析とこれを裏付ける概念ないしは哲学を求めているのであろう。

生理学研究の面白さ、楽しさを次世代に伝え、若い研究者の生理学への参加を計ることは当然である。しかしフィールドを単に生理学教室に限りのでは なく、これに加え臨床の若い研究者やコメデイカルの研究者が、日常の臨床で、またフィールドで生じた疑問をどんどんと生理学教室に持ち込める体制を醸成す ることが必要であろう。これらの問題を解決するための生理学的ツールを提供し、それをどの様に考えるか指針を示すことによって、生理学マインドを持った研 究者を育てることが出来る。これらの研究者は臨床やそれぞれのフィールドに戻っても、生理学的な考え方を活用して研究を発展させ、生理学の裾野を拡げてく れることになる。またこれらの研究者や臨床の大学院学生の中には、生理学教室で素晴らしい研究を行い、生理学の面白さに取り憑かれて生理学者の道を選んだ 例も少なくない。

我々も随分お世話になったガス分析器の開発者であるP.F.Scholanderが晩年に書いた自伝のタイトルは“Enjoying a Life in Science”である。生理学は80歳でもなお楽しむことの出来るScienceである。世代を超え、実験科学としてまた生命哲学として楽しむことが出 来るのが生理学であることを学生や若い臨床医、コメデイカルの研究者に伝え、また生理学の研究を共に楽しみたいものである。