我国の生理学の未来 (杉 晴夫)

帝京大学医学部生理学第二講座  杉 晴夫

 私が欧米の研究者達と我国の自然科学研究について語るとき,彼らが一様に驚愕するのは,(1)科学研究費を申請して不採択になった場合,その申請 者には文字通り「なしのつぶて」で不採択の理由はいっさい知らされないこと,および(2)学者の昇任に際し最も重要なのは出身学部であること,である.ま た我国のこのような事情はすでによく欧米研究者に知られており,このような人々の私への問いかけは,(1)いつまで日本は研究費申請の経過をブラックボッ クスにしておくつもりか,あるいは(2)いつまで日本は研究者の採用,昇任にあたって出身学部を最重点に置くのか,我々の国で問題にされるのは研究能力の みであるのに,ということである.もちろん後者の人々の問いかけには明らかに嘲笑が含まれている.

このような国際的にみて異常な体制の結果はほとんど明らかである.我国において多くの研究者と研究予算が集中し「栄えている」研究分野は,欧米で 開拓された分子生物学,遺伝子工学等である.我国でこのような流行分野の研究を行なう人々が各省庁に多額の研究費を要求する際の決まり文句は「我国でもこ れらの分野の研究に速やかに追いつき,追い越すのだ」ということのようである.

私の考えでは,このような発想では我国の自然科学が本当に国際的に一流になる時は来ないと思われる.昔寺田寅彦が述べていたような,「我国の研究 者が努力して欧米の学問レベルに追いつき,国際的に遜色ない研究が出るようになったと誇る頃には,すでに欧米では本当に独創的な新しい研究分野がなかば出 来上がっている」ことのくり返しである.寺田寅彦が嘆いていた頃より現在の事態はずっと悪くなっているようである.何故なら「科学を計量する」という不遜 極まる発想から出発した,いわゆるインパクト・ファクターが上記の傾向をますます助長しているからである.

英国のアンドリュー・ハックスレー氏は,「あらゆる生物科学は生理か生化学かのいづれかの範疇に入り,他の学問は存在しない」という意見である. 私もこの意見に賛成である.生理学の研究対象を生理学者が自ら狭く限定する必要は全くない.逆に生理学は現在「流行」のあらゆる方法を自らに取り込めば良 いのである.しかし我国の生理学が将来,私が考える方向に向かうためには,まず最初に述べた国際的に見て異常な二つの問題点が改善されなければならない.

ニュートンが,自らを浜辺で貝殻を拾う子供に,未知の自然界を大海に例えたように,研究が進歩すればするほど新しいミステリーは増えていくもので ある.したがってどんな分野の研究であれ,「研究者が失業する」などということはあり得ない.研究対象がなくなると言う考えは研究者のアイデアの貧困を告 白するに等しい.最近流行の研究分野の一つに,実験動物のある遺伝子を欠失させたノックアウト動物を用いる実験がある.しかしノックアウト動物は期待した ような機能障害をおこすとは限らないという.つまり,ある遺伝子の欠失を補う代償機構が働くのである.ノックアウト動物の専門家は,このようなケースは不 成功としてすて去るのであろうが,私はこの代償機構こそ生理学が解明すべき目標の一つと思われる.我々自身も遺伝子の欠失があるのかも知れず,この代償機 構のおがげで生きているのかも知れないのである.

私は研究者として人生を過ごしてしまったが,もし生まれ変わるとしたら自己の創作が時空を超えて人の心を打つ芸術家になりたい.しかし芸術の才能がないなら,上に述べたような「流行」の研究者がすて去るような現象を一生かけて追及したいとも思う.