開かれた研究体制 (本間生夫)

昭和大学医学部第二生理学教室 本間生夫

日本は今、経済の先行き不安、政治の低迷により、社会全体が閉塞感におちいり、ペ シミズムにとりつかれている。何かしなくてはならないと思うが、何をするにしても 悲観的な気分だけがあたりを漂う。昔は象牙の塔といわれ、社会一般の情勢とは全く 無縁であった大学においても社会の動きに合わせるかのように機構改革が進められて いる。しかし、現在急速に行われている改革が将来的に良い改革であるかどうかはわ からない。生理学においても多くの大学で様々な改革が進められている。しかしその 改革の中身にはこれから生理学が飛躍的に進展していけるようなものは少なく、ほと んどマイナスイメージが強く、すなわち縮小の方向で進んでいる。生理学の研究室に 籍を置く人たちは将来の生理学に少なからず危機感を抱いていることであろう。多く の分野で悲観的になるのは社会全体のぺシミズムが大いに影響しており、大学にもこ れほど影響してくるとは思いもよらないことであった。そんな中にあって、政府が今 後基礎科学研究に多額の予算をつけるというのは我々研究者には明るい材料である。 特に、「脳を知る」「脳を守る」「脳を創る」ことを目標に「脳研究」に毎年一千億 円、20年間で総額2兆円支出するというのは画期的なことである。脳科学運営委員会 を設置し、脳科学総合研究所も新設するそうである。このプロジェクトを立案し推進 した方には敬意を表したい。

1月13日の日本経済新聞の社説は、しかし、このブロジェクトの進め方に注意を喚起 している。脳研究の重要性が世界中で叫ばれ、また脳研究を遂行するための計測機器 や分析機器がこの10年で飛躍的に進歩しており、その社説でも脳研究を組織的に進め る時期にきていることは認めている。さらに、プロジェクトとして研究を進める場合 、最も重要で関心の高いものはプロジェクトの運営委員会による研究費の配分の仕方 であるが、社説では今までの決定方法にしたがえば、明確な研究計画があり、また、 手法が明確であるところに研究費は重点的に配分されることになり、それでは研究プ ロジェクトとしては不十分である。現在まで行われてきている分析的研究だけでは脳 全体を解明できないであろうし、脳を統合するメカニズムを探らなくては脳を知るこ とは不可能であり、その方面の研究が必要であると述べている。この点は、ややもす れば「統合」という言葉が薄れがちである現在の生理学の研究を進めていこうとする 我々には力強い支えとなるであろう、しかし、ここでいっている「統合」とは決して 単に回路が繋がっていることや臓器における入力、出力をまとめていることではない 。人間の脳を解明する研究で要求されているものはその先のことである。分析し、統 合するだけで人間のような精神と関わる高度な脳機能が判るのであろうか、という疑 問である。なにかしら今までにない斬新的な研究の発想が必要である。そのためには 今まで我々が相手にしてきた研究分野を越えた研究者との研究交流も必要である。そ のことが開かれた体制が必要である、ということに繋がるのである、脳研究の中心と なる、あるいは中心とならなくてはならない生理学は広い学問分野に対して開かれて いなくてはならない。さらに、脳研究を進めるといえども生体全体の研究が伴わなく ては何の意味もない。健全な身体に健全な精神が宿るごとく、脳だけの人間を創って もそれは社会には通用しないのである。

もう一つ開かれた体制の中であげておかなくてはならないことは評価である。研究に は評価が付きものであり、必要なものであるが、このように広範囲に渡った研究を評 価していくのは容易ではない。教育の現場では合否の判定をする評価だけでなく、そ の評価を生かしていく形成的評価が重要視されている。研究においても、評価を生か し、研究者に自由な発想を保たせる形成的評価が必要である。