生理学のあり方について (入来正躬)

山梨医科大学  入来正躬

生理学は一般的な辞典では次のように説明されている。「生理学は生体又はその器官 ・細胞などの機能を研究する学問である」(広辞苑)。あるいは「生命現象を物理的 ・化学的手法によって研究する生物学の一分野、狭義には物理的方法による部門の生 物物理学をさす。昔は生物学と区別する傾向にあったが、生物学の発展に伴い、生態 学や形態学などと対置される分野となった」(小学館国語大辞典)。

医生物学の中で古典的には、次のように分りやすく説明されていた。「生体の構造を 研究するのが解剖学あるいは形態学であり、生体の機能を研究するのがPhysiologyで ある(この場合Physiologyは、生体機能学という意味から生機学と訳されていた)。 そして生機学には、物理的手法を用いて研究する生理学と、化学的手法を用いて研究 する生化学とがある」。

しかし、現在は研究の進展、特に学際的研究の飛躍的な進展によって、形態と機能に よる区別も、物理的手法と化学的手法という手法による区別も、ともにほとんど不可 能に近い。

現在では生理学を簡明に定義することは不可能であり、かえって誤りを招くおそれが あるとの意見が強い。そこでまずあらためて生理学の特徴について述べてみたい。 (1)生理学の特徴の一つは、heterogenity(異質性)にある。生理学には、対象も 、手法も、それぞれ異なった多様な分野が含まれている。対象によって動物生理学、 植物生理学、あるいは人体生理学などに分かれる、異種類の生物を比較する場合は比 較生理学といわれる。また注目する生活活動のレベルによって、細胞生理学、組織生 理学、器官生理学などに分けられる。対象とする機能の種類によって消化生理学、循 環生理学、呼吸生理学、生殖生理学、発生生理学、神経生理学、筋生理学などに分け られる。

このような異質性をもった生理学を、簡明に定義することは非常に困難であろう。( 2)しかし生理学の目的とするものは“機能”の解明という点では一致している。生 理学の目的はfunction(機能)の解明であって、process(過程)の解明ではない。P aul Weis(1947)の見解によれば「われわれは細胞内の物理的または化学的“過程” を、その“機能”について知らなくても解明することが出来る。これはある特定の目 的のためには価値あるものであるに違いないが、生理学とはいわれない。この研究は 生物物理または生化学と呼ばれるものであり、生理学というときには、これに加えて 、“機能”の解明を目的としていることが必要である」。もちろん分子生物学におい ても、生化学においても過程とともに機能の解明の研究がなされている。この点から は、生理学が、分子生物学、生化学とは明確に異なった独自の研究領域であるとは言 いがたい。しかし生理学では、基本的に重要な、本質的な目的が“機能”の解明であ ると主張したい。

生理学の将来像を描くためには現在の医生物学的研究の情報を概観し、その中で前述 したような特徴をもつ生理学にどのような役割りを期待出来るかを考える必要があろ う。万人が認めるように、現代の医生物学的研究が分子生物学にリードされ発展する ようになってかなりになる。しかしこれらの研究が分析的であり、process(過程) の解明が主となっていることから、最近ではintegrative biologyの研究の重要さが 一方で強調されるようになった。このintegrative biologyの研究領域こそ、本来生 理学の研究の目的とするものであり、生理学の強い関与が期待されている分野である。

しかし、このような研究のすべてを生理学の研究と名づけることも、その成果がすべ て生理学会で発表されるようになることも不可能であろう。また医生物学の研究の中 で、何が生理学の研究であるかを定義することも不可能であろう。むしろ定義しない 方がよいのではないか。“生理学会”あるいは“生理学講座”ヘのこだわりを考え直 す時機に来ているのかもしれない。

医学を学ぶものや、医生物学的研究に携わるものに、他の学問体系では学べない生理 学の基本的な考え方を「教育」することは不可欠である。しかし「研究」では“生理 学の研究”というわくをこえて発展している医生物学的研究に対する適確な対応が必 要とされよう。