愛媛大学医学部生理学第一講座 片岡喜由
生理学は、解割学と並んでいかにも古色蒼然とした趣があるかもしれない。それは歴 史のせいだけでなく、我が国の生理学会の年齢構成をみても、新しい領域の学会と較 べると随分と老成した印象は否めない。しかし、我が国の生理学研究が古くて役に立 たないどころか、筆者にはなお厳然として医学の根底をなしているとしか思えない。 ただ派手さや新しい勢いといった感じに欠けるため、若い人たちにとって取っつきや すく魅力的かどうか、しかし、そのことを我々が気にしないといけないのかどうかは 別の問題であろう。人体の生命現象をどこかで意識している限り、どのような切り口 で取り組もうと、手法が分子生物学や遺伝学であっても、それはphysiologistの所作 以外の何ものでもなく、physiologyの求心力からはずれることはあり得ない。要はそ のような若い世代をどのように確保し育てるかが問われているのではないだろうか。
独創的な研究を生む条件の一つは、自由な発想と気兼ねない研究を若い人に保障する ことであろう。研究費の配分の仕方は大いにそのことと関わっている。先進諸国での 低迷の中で、我が国の基礎科学振興の気運は高く、国際共同研究をはじめ、新しい予 算の新設や増額は心強い。しかし、若い世代への配慮が充分であるかどうかは疑問で ある。大きな研究グループの一つの路線の中で鍛えられながら成長していく場合とは 別に、将来、大きな鉱脈につながるかもしれない個人レベルの研究をいかに捨い上げ 助成するかを考えねばならない。文部省科学研究費の奨励研究においては、必要に応 じ複数年にわたる計画を認め、中途増額を可能にする制度も望ましい。また、学術振 興会による大学院生やポスドクヘの研究費予算の更なる増額も望みたい。しかし、こ こでどうしても必要となってくることは、公正適切でしかも広い視野から新しい胎動 に鋭い嗅覚を発揮しうる評価能力の涵養が、中堅以上の生理学者に求められることで あろう。評価システムそのもののあり方も重要であることは言を侯たない。
新しい文化が異なる民族の突き含わせから生まれるように、新しい研究が発想や世界 観の異なる人との直接的な交流を通じて芽を出してくることも自然の姿であろう。日 本人の英語によるコミュニケーション能力が確実に向上しているとはいえ、一対一の 専門分野の議論はこなせても、より一般的な話題について複数人の中で渡り合うほど の人はまだ限られている。通信による情報は溢れていても、人間性に追るレベルでの マンツーマンの交流という点で我が国は地理的に著しく不利である。長期の留学も大 切だが、それだけでは充分とはいえない。しかし、若い人たちにとって自由な判断で 学会出席や個人レベルの共同研究のためにする短期の渡航や滞在費となると、現在の 予算規模や助成のチャンスは限られている。そのための公的な予算、例えば奨励研究 にそれを含ませるなどを思い切って導入してはどうだろうか。旅費の増額が物見遊山 に流れるとの危惧がもしあるとすれば、それは全く当たらない話である。
先般、佐藤誠教授も主張しておられたが(本誌58巻6号巻頭言)、新しい世代の生理 学者として、有能なPhDの活躍の場を積極的に用意する必要があろう。我が国のphDの 方々はどちらかというと自らの立場を厳しく律し、人体生理学や臨床医学とは一線を 画される傾向が強い。尋ねてみなければMDかPhDか分からないような、臨床医学に詳 しいPhDが多い米国とは大いに異なるところである。ことに生理学教育に携わること も考慮すると、やはり制度としてPhDの一定程度の臨床を含めた医学部科目の受講と 単位修得を定めるべきであろう。将来、アメリカ型の医学教育が導入されるとすれば 、その具体的な対応としても真剣に考えなければならないように思われる。