一「非若手」生理学研究者のつぶやき (岡田泰伸)

岡崎国立共同研究機構・生理学研究所 岡田泰伸

 生理学とは何か、生理学会はどうあるべきか、についてはすでに諸先輩方が述べら れている通りである。私は、格調を落とした「蛇頭言」(!?)で申し訳ないが、昨 今感じていることを主観的に述べさせていただきたい。

細胞に魅せられてのことだろう、20年以上もこのような生活をしているのは。それ は、たとえ実験条件のもとであれ生体の現象はある機能を表現しているからであり、 その観察からこのメカニズムにも迫れると信じているからでもある。チャネル活動一 つをとってみても、分子レベルでの機序に強い興味を覚えると共に、それは複雑な細 胞システムとの絡みで見ることがとても楽しい。それがもし病態と関係していれば最 高に幸せだ、とくにメカニズムの分子的基盤については、分子生物学的実験技術を用 いることによって実にすっきりした結論が得られることが多く、本当に素晴らしい時 代に居ると思う。が、「ところでそれで?」と、さらにそれに基づく分子機構や上位 機能との論理的関連を直ちに追い求めてしまう。生理学が生体機能のメカニズムを解 明する学問であることは論を侯たないが、私たちにとってその「メカニズム」には分 子論的な意味と統合論的意味の二重性があるようで、両方が満たされない限り得心は いかない。

そのせいもあって生理学者は、自分の仕事にさえニシカルでさめた対応をしがちで はなかろうか。種々の分野からのグラント申請を読む機会にいつも感ずることだが、 生理科学分野からの多くにはそれがにじみ出ていて、ぶっきらぼうで不親切で、熱狂 や興奮はまだしも意義や重要性までもが伝わりにくい内容になっているように見える 。その上、概して分子生物学分野の研究者からの方が、扱っている分子がいかに生理 的に大事なものである(と信じたい)かが切々と書かれているのに対し、生理学研究 者からはもともと大事な「機能」を扱っていると思っているせいか、そのことは改め て強調するまでもないとばかりに実に淡々としたものが多い。「機能に胡座をかいた 独りよがり」にならないよう、他の分野の研究者の心をも動かし得るような新鮮で開 かれた問題意識と、分子レベルや上位機能レベルとの対応づけを心がけた厚みのある 内容でありたいものだ。生理学者にはふつう多くの人々とチームを組んで仕事をする 習性がなく、それがグラント申請の内容を狭くしている原因ともなっているのかもし れない。もし、周りにテクニックや興味の異なった研究者が多くいて、その内の幾人 かと研究のmotivationを共有できるよう努力する日々があれば、そして一人でも二人 でも若い人が真剣にコミットしていてくれる状況があれば、事態はもっと違ったもの になるだろう。

それにしても今の生理学会には若い人があまりにも少ない。また、(そのせいもあ ってか)中間層が妙におとなしい。グループディナーにおいても、もう定年前後の「 旧若手」が一番「若々しい」とはいかにも皮肉である。いま「生理学」が多くの若者 の興味を引かないのは何故だろうか?私たちの講義が若者を魅惑する内容に欠けては いないか、私たちの研究内容や方法が古色蒼然としてはいないか、・…・反省しなけ ればならない。爆発的な分子生物学的研究の成果をも生体機能にまで組み上げたダイ ナミックな内容で、また病態や病因との対応づけにもゆめゆめ怠りのない内容で語れ るよう、私たちには更なる勤勉さが求められている。しかし、大変残念で寂しいこと ではあるが、私たちの多くはせいぜい「背中で語る」ことしかできない日常にいる。 若者との接点においても、(分子生物学的なものも含めて)新しい技術をどんどん取 り入れて行く点においても、中間層および若手研究者の役割は極めて大きい。「最近 の若い者は」(といえば老人のメルクマールの言辞だが)近未来に対する安定志向が 強いと言われているが、私は決してそれが単純に地位やサラリーや週休二日制を意味 するものとは感じていない。大学院修了後あたりからいかに「おもしろい生活」がで きるかを求めているのだと思う。助手やポスドククラスの若手研究者が、最新の技術 を駆使しながら、いかに生き生きと楽しく(必要とあらば土日や深夜早朝もいとわず に)研究に熱中した生活(これが実は家族との生活の基礎でもある)を送っているか を若者たちは見ているように思える。その意味でも、医学・生命科学の基盤を与える 学問である生理学の末来のすべては、中間層・若手研究者にかかっていると言っても 過言ではないように思うのである。