若いPh.D.に期待して (佐藤 誠)

岩手医科大学医学部生理学第一講座 教授 佐藤 誠

 医学部の卒業生で将来生理学者になろうと志す若者は殆どいなくなったと云われ出し てから少なくとも三十年はたっている。私の教室のメンバーも常勤は私以外四人はノ ンM.D.で理学部の物理・化学・工学部の電気や教養学部出身者で占めている。私はア メリカで約二十年間、オレゴン大学医学部に生理学者として教鞭をとって来たがそこ でも生理学の教官は殆どがM.D.ではなくPh.D.だったので、帰国後、私の教室員にノ ンM.D.が多い事に何ら違和感がない。私が専門とする研究領域は神経生理学で特にシ ナプスでの細胞内情報伝達系の科学であるから、生理物理・分子生物学・情報工学な どの生理学の基礎となっている知識を多く身につけたノンM.D.の方が入門し易く伸ぴ 易い。最近日本でも研究所や会社の研究室では、ノンM.D.が歓迎され、医学部以上の 研究成果を挙げているところも増えて来た。しかし、医学部の基礎医学教室の教授選 考の時などには、今でもM.D.の方が優先的に当選する傾向が残っている。これは必ず しも派閥意識からくる差別によるものだけではない。日本の臨床家たちの心配は、ノ ンM.D.の基礎医学者が医師を志す学生に実際に役に立つ基礎医学、例えば生理学を教 える事が出来るだろうか。彼等は果して臨床の生理学的研究に協力してくれるだろう かと云う或種の懸念である。事実、日本の基礎医学教室にいるノンM.D.の生理学者達 は、外国のPh.D.達に比較し、臨床医学に接する機会が極めて少ない事は確かである 。アメリカの医学部の中には、基礎医学者を養成する学校(graduate schoo for Ph. D.)があり、そこでPh.D.を取得するためには関連する臨床科目の講義を聞き、試験 を受け、所定の単位を得る事が義務づけられている。我が国でもノンM.D.に医学部で 学位を授与する場合、医学博士ではなく基礎医学博士(Ph.D.)と云う名の学位を授 与する事にし、その為には必ず、所定の臨床医学の単位を取る事を義務づければよい と思う。この様なPh.D.コースの確立は、上記の医師達の心配や懸念を軽滅する事に 役立つであろう。医学部で生理学を二年生に教える所謂 premedical educationは、 臨床医学を学ぶために必要な最少限度の生理学を教えればよい。大学院の学生に教え るgraduate school educationは、自分の専門領域に近い内容をセミナー形式で教青 すればよい。臨床から派遣されてくる大学院生には、なるべく臨床の教室でやってい るテーマを少し掘り下げて教えてやればよい。これからの日本の医学部で働くPh.D. には、もっと幅の広い医学的知識が要求される様になるであろう。アメリカの医学部 の臨床各科には大低研究専門の教授又は助教授が居て彼等は殆どがPh.D.である。彼 等は決してM.D.ヘのお手伝をしているのではなく、全く対等な立場で病態生理学を研 究している。癌研究の第一線を担って世界的な研究成果をあげている学者達はM.D.よ りもPh.D.の方が多い。お互に利用し合ってアメリカの医学は発展している。二十世 紀は理論物理学と化学の時代であったが、やがてくる二十一世紀は、分子生物学を通 しての生命の科学、脳の科学の時代と云われている。従って優秀なPh.D.の職場マー ケットはどんどん広がって行くであろう。その事がその領域の学術レベルを向上させ る事につながり、究極的には医学の進歩発展にもつながってゆくであろう。私は間も なく定年退職する身であるが、これからの日本生理学会を背負って立ち、国際舞台で 活躍出来る後継者の育成を考える時、着いPh.D.に対する期待が大きく広がる。国際 的に通用する立派なPh.D.の育成を医学部内に制度化し、彼等に安心して自由な研究 が出来る様な体制を作ってゆく事を、学会として、もっと真剣に考えて学会の明るい 未来に対処すべきものと考える。