生理学とその周辺 (内野善生)

東京医科大学生理学第二講座 内野善生

 生理学の学問分野は広く、非常に多くの先生方が各専門分野で活躍されている。い つの間にか私も温血動物の中枢神経系の生理学を志し、31年が過ぎた。現在、私は卵 形嚢と球形嚢に分かれる耳石器の選択的刺激に凝っている。数年前杏林大学から母校 の東京医科大学に移った当時、前庭神経系の生理学のうち、どの方向の仕事をするか 大いに悩んだ。たとえば前庭神経系の代償機能の解明、半規管系に比較し研究の遅れ ている耳石器系の神経機構の研究などが頭に浮かんだ。私は後者を選んだ。生理学の 目指す生体機能の解明が遺伝子・分子レベル、細胞レベル、組織・器官レベル、個体 レベル、個体集団レベル全てのレベルで分析されるとすれば、私の選んだ研究はまさ しく組織・器官レベルの研究であった。卵形嚢神経と球形嚢神経を的に選択刺激する ことを世界に先がけ成功し、その一部の神経機構を明らかにしてみると半規管系との 違いに驚き、この方向の研究をしていてつくづく良かったと思う。

研究の最大目標の一つに“概念をかえる”新しい事実の発見がある。この点から考 えると若い研究者が遺伝子・分子レベルの研究へ傾いていることは理解できる。文頭 に耳石器の選択的刺激に“凝る”と書いたが、伸張反射にある入出力機構の単シナプ ス結合に次ぐもう一つの直接結合が耳石器と眼運動系との間に存在する事実、耳石器 のStriolaを中心に形態的極性の異なる有毛細胞にシナブス結合する求心性線維が、 単一前庭神経核ニューロンに単シナブス性興奮結合と2シナプス性抑制性結合する( このことは直線加速度の感受性を高めることになる)事実を明らかにしてみると“凝 る”ことも才たけない一研究者としては重要なことではないかと思う。あまり無理せ ずその人に一番合った仕事をすることが、税金を使用する(研究費を使うこと)側面 からも良いことではなかろうか。

耳石器が重力センサーであることから、最近科学技術庁・宇宙環境利用推進センタ ーのワーキンググループに参加している。国際宇宙ステーションが日・米・欧州・カ ナダ・ロシアの協力で2002年に完成する見通しである、ライフサイエンスの側面では 米国は微小重力環境を利用し、生物学的プロセスの原理、宇宙における生物の起源・ 進化・多様性の理解、有人ミッションの医学サポート、などを研究テーマとしている 。ドイツは微小重力環境下の研究を地球環境システムヘどのように寄与させるかを重 視している。フランスは神経科学・循環系・骨格系・放射線生態学等に力を入れてい る。ロシアはバイオテクノロジーの基礎的実験を約5年間行い、2005年以降応用研究 や商業的な側面を重視している。日本においては、前述した各レベル、特に遺伝子・ 分子レベルでの重力に依存する現象の解明に力を注いでいく方針のようである。生物 学のより深い理解、有人技術・医学サポート(ステーション内での日本人サポートは 日本が行わねばならない)ヘの生理学的・医学的貢献に、より多くの生理学者が積極 的に参加することは生理学の新天地を開発することにつながるであろう。

31年間、私大出のポンポンの私を指導していただいた当時の東大・脳研究所生理学 部門の諸先輩及び同僚の方々に心から御礼を申し上げたい。厳しい実験の合間をさい て、研究の袋小路を解きほぐすプラスの助言、論文を一から十まで直していただいた 心の大きさというか、懐の深さを今も忘れない。今、私も同様なことをしなければな らない立場であるが、何一つ諸先輩及ぴ当時の同僚を越えることができない。すばら しい方々である。