生理学の将来 (佐藤昭夫)

東京都老人総合研究所副所長 佐藤昭夫

 私は、1959年に北海道大学医学部を卒業し、1年間のインターン生活の後1960年に 生理学者としての道を志し、大学院博士課程に進んだ。さらに2年間生理学教室で助 手の任に当たり、続く6年間を米国とドイツの大学の生理学教室で過ごした後、1972 年に東京都老人総合研究所に赴任して現在に至っている。その間、複数の大学医学部 の非常勤講師として生理学の教育にも従事してきた。このような経験に基づき私なり に、生理学研究のあり方について考えてみたい。

私が生理学の世界に入った頃は、生理学が医学の最も基本的な研究分野として広く 認知されていたように思う。当時、電気生理学的手法が発展しつつあり、生体調節に 関わる神経回路の研究が飛躍的に進み、人体機能の多くが理解可能となった。私自身 も、人体機能への興味と医学の重要な部分に携わることへの喜ぴをもってこの道を選 んだことが思い出される。

一方、過去30年の間に、化学的な分析方法がめざましく進歩し、超微量の化学物質 の検出が可能となり、さらに分子生物の研究分野が開発され、細胞の機能を分子レベ ルで研究できる時代が到来した。その結果、細胞や細胞を構成する分子の研究に重点 がおかれるようになり、多くの基礎医学を志す研究者が、生化学あるいは分子生物学 に向かう傾向にあるように思われる。

生体の機能は、各遣伝子・分子や細胞、各器官の有機的な集合体として発揮される 。細胞内部の各々の遣伝子・分子がどれ程詳しく解明されたところで、分子と細胞同 志の有機的な連関のメカニズムが解明されなければ、生体機能の解明にはつながらな い。微視的研究が進歩すればするほど、これらを統合し生体を有機的に捉える研究が ますます重要となってきている。生理学は遺伝子・分子のレベルから細胞、組織、器 官、個体までの機能を統合的・有機的に研究役割を担っている。さらには、複数の個 体が集団生活を営む中で生じる生物学的心理的現象までを含めた機能の解明も生理学 に与えられるべき課題と考える。

現在、生理学者は、分子・細胞レベルにおける研究者ばかりでなく、器官・個体レ ベルで生体機能を研究する生理学者を育成する必要がある。私が昨今感ずるのは、若 い生化学者、分子生物学者の数に比べて、生理学者を志す若い人が少ないことである 。これは、学生に生理学の意義及ぴ重要性を認識させ、さらには生体の多様な有機的 機能の不思議に対する興味を目覚めさせる教育が不足しているためではないかと思わ れる。

私の知る限り、生理学は、日本と欧米では、かなり異なる社会的認知を受けている ように恩う。米国では臨床の医学界で器官生理学研究が進んでいる。生理学は分子生 物学に傾いている。ドイツでは、臨床医学を修める前提として、生理学を含めた基礎 医学の国家試験を通ることが必要とされている。英国では、生理学部に7~8人の教授 がいて教育・研究の対象を広げている大学もある。日本では各国の生理学の現状を参 考にしながら、日本に最適な道を探ることが望ましい。日本人は統合的・直感的にも のを理解する能力に優れていると思われる。その国民性を生理学に生かすことができ れば、日本の生理学の将来は非常に明るい。

生理学者には幅広く深い知識と、統合能力が必要であり、この能力は、個人差があ るものの50歳頃に最大に達し70歳頃までは維持されると考えられている、今後我が国 でも米国と同様に、70歳程度まで生理学者として活動できる社会環境の整備が急務で ある。