広くて大きい”生理学の椅子” (玄番央恵)

関西医科大学生理学第二講座  玄番央恵

ざっと30年前のことであろうか。“生物物理”なる語が生理学など生物学に携わる人 々にある衝撃を与えたのは。それは確固とした理論体系を有していてすっきりした科 学である物理学の手法、見方が、物理学と比べ到底一筋縄ではいきそうもない複雑な 生命体の研究に適用され、生物学に新しい展開が期待出来ると人々に予感させたから であろう。その物理学もそう単純明解ではなく、最近では物理学を“複雑系の科学” と提唱する物理学者すら出現するようになっている。種々の事象に対し、条件が設定 されると自ずと一つの解が決まるという説を単純に信じることの出来た時代から、カ オス、ファジーなどの理論が華々しく飛び交った“ゆらぎ”の時代を経、今はコンピ ューターのめざましい発達と情報通信分野の変革が人々に国と国の境界ばかりか、個 人と個人の境界すら曖味に感じさせ始めた時代とかで、“溶ける”時代だと提唱なさ る方もおられる。

自己と他者の境がぼやけ出したという文に初めて接した時、なにか言いしれゆ不安感 を覚えた。“私”は存在しているのか?“私”のアイデンティティってなんだろう。 “私”を容れる、“私”を表現する、“私”が所有権を主張出来る私の身体は他者か ら隔絶し、真に独立しているのだろうか?と。私の身体には他の何人にも所有されな い部分が確かに存在すると考えられるが、多くの人々或いは無数の動物と共有し合っ ている部分も存在する。大気をそのままで取り込む呼吸器官などはその良い例であろ う。大気は言うまでもなく私達が足場にしている地球の外側、つまり広大な大字宙に つながっていることを考えると、人工衛星或いは宇宙船に乗って星と星の間を遊泳し ながら行う研究はすべて私達の身体の仕組みと動作原理解明に関する研究であると言 うことすら出来る。しかし大宇宙空間での研究から、その際用いられる機器が精緻の 限りを尽した如何に素晴らしいものであってもそこから遠く離れていて僅かの陰影と しても見ることの不可能な地球上の生命体の生理に関し有用な知見が得らるとは考え にくい。この場合直接視野に入ってきてその存在を認識しやすい星と別の星の関係な ど宇宙空間における構築、変動について検討する方が賢明な研究選択であることは言 うまでもない。最近、国と国、個人と個人の境界だけでなく学問の境界線も崩すべき だという声すら聞こえるので、各学問分野、例えば生理学はどんな研究対象を受け持 つのが有利なのか或いは世間から期待されているのかにつき考えることは無意味では なかろう。

犯罪を扱うドラマで、長期間に互たる捜査により疲労困憊している心身を生命の危険 を承知の上で刑事が建物或いは自動車に身を潜め、双眼鏡などの機器を巧みに用いて 容疑者に悟られずにその挙動を観察するシーンをよくみるが、これは犯罪者の特定に 役立つ貴重な情報の獲得が期待出来るからであろう。このように対象者から多少の距 離をおく行動観察の手法は、細大漏さらず見れる鋭い観察眼に対し対象者に関する多 くの情報を提供してくれる。対象者の眼前まで近づくとさらに詳細な行動観察が行え るばかりでなく、対象者の構成要素について検討を進めるための資料採取が可能にな る。現在、器官から組織、細胞、分子のレベルまで踏み込み、詳細な解析が行えるよ うになっている。

以上の張り込み刑事の調査目標ぐらいから以下、分子レベルまでのすべてが生理学の 研究対象だと考えられる。生理学研究の中、近年のコンピューターなど先端技術にお ける長足の進歩により新しい方法が開発され、しかも方法の習得が容易な領域、つま り生物を細かく切り刻んでから研究するという超微の領域と、一方脳をそのまま丸ご と頭皮上から計測して研究するという超大の領域の研究がそれ以外に比べ際だって盛 んである。これは研究プロジェクト及び研究人口に偏りのあることを意味する。これ らの手法だけでは生命体の仕組みと動作原理について納得のいく解明は困難であり、 これらの間にある、これらを繋ぐ研究の推進が必要ではないかと考えられるが、それ らの研究領域はしばしば方法の修得に手間がかかるため現在敬遠されがちであり、研 究方法の改良、開発もまた重要事項であろう。しかし以上の生理学研究は生命体だけ に焦点を絞っていて、時々刻々変化する環境の生命体への影響を無視しがちである。 無論環境も生命体から影響を受けており、それら両者の相互干渉に注意を払うことが 大事ではないかと考えられるので、張り込み刑事の行うような環境もろとも生命体を 捉えて種々の角度から解析するような研究の推進もまた真に生命体の動作原理を明ら かにするために重要ではないかと考えられる。