生理学の将来 (松尾 理)

近畿大学医学部第二生理 松尾 理

 最近ヒト遺伝子の全てが米国の民間企業によって解読されたとの報道があった。米国政府などによる国家プロジェクトよりも数年早く最終ゴールに達したわけである。かくして個体という最初の出発点から臓器・器官→細胞→蛋白→そして遺伝子へというミクロへの方向は一応道筋がついた。これからは、これらの道筋を逆にたどる方向、すなわち、遺伝子→蛋白→細胞→臓器・器官→個体という方向で、機能調節・統合を中心としたアプローチが前面に出る時代になる。ここで生理学の本来のあり方が再認識されなければならない。

最近の風潮からいわゆる”モレキュラー”万能の感がするが、モレキュラーレベルをいくら積み上げても上位レベルの組織にはなり得ない。統合化するプロセスに生理学的考え方および生理学的アプローチが必須である。本来、生理学はノーベル賞の名前にも生理学がついているが如く、医学分野の中核的な存在であった。しかし、徐々に生理学の重要性が見過ごされつつあるのが現状と言っても過言ではない。この危機感から、生理学研究連絡委員会は生理学の動向と展望「生命への統合」と題する非常に重要な報告書を纏められてた(全文が本誌1997年59巻345-373ページに掲載されている)。この報告書で指摘されているように”統合科学”としての生理学の重要性を幅広く認識してもらう必要がある。また、すでに東京大学医学部で標榜されている「統合生理学」という名称を幅広く広報するのも一つの方法かも知れない。

日本生理学会は将来計画委員会を設置し、学会のあり方を始め、生理学教育・研究などの生理学に関係したあらゆる事柄について、問題点を明らかにし、その対策等を常任幹事会に提言している。委員会報告の結果からすでに若手の会が再出発し、生理学大会に独自のプログラムを作成して活動している。また生理学教室の新任教授が生理学会員でない場合に、評議員に推薦できる制度も提言し、実現しつつある。しかし、まだ根本的な問題について討論を煮つめるに至っていない。すなわち、生理学の重要性は上述の如く認識されていても、大学院大学の教室の如く、標榜名から生理学という言葉が消える事例がある。また最近の統合カリキュラムの導入によって、カリキュラムの中にも生理学という名称が使用されない事例がある。このように徐々に足下がくずれ行くような事態にあって、日本生理学会が確固たる存在であるためには、今後いろいろ対策を講じなければならない。将来計画委員会への提言をいただければ幸いである。

昨今の医学教育の改変から、医学部卒業時には医学的知識だけでなく、ある程度の医学的知識ではなく、ある程度のい行為ができる技能も要求されている。006年の医師国家試験にOSCE方式の試験を導入する方向らしい。そうなるといわゆる基礎系の教育時間が圧迫され、生理学も生命の統合的な理解に必須だから固有の時間枠が必要だとは言い難い状況になる。そこで、別の感上げ方として生理学の存在を示す方向がある。それは、医学教育全体(いわゆる基礎も臨床も含めて)の中で特徴づけて位置づけできる「病態生理学」である。これによって医学の全ての分野に堂々と入っていける。上記の遺伝子・蛋白質・細胞・臓器・器官・個体の次に疾病という項を追加して個体・疾病とし、病態生理学的な面を明らかにすれば、医学研究・教育の中心的存在としての生理学の重要性は揺るぎないものになろう。実際医学部で行われている研究は全て病態生理学的なものと言っても過言ではないだろう。ただ、その意識がないだけと思われる。

いずれにしても大学の統廃合が行われる時代にいつまでも講座制がある保証がない。研究はその都度関係するものがチームを作って実施するプロジェクト制に変わっていこう。そうなれば、一層研究者の内面に生理学的な考え方をしっかりと持って対応していただかねばならない。統合科学としての生理学、あるいは病態生理学の重要性を医学分野全体の人に認識されなければならない。その帰結として、日本生理学会が反映していけば幸いである。