千葉大学医学部第二生理学教室 福田康一郎
最近、生理学会全体あるいは生理学研究の沈滞とその再活性化が指摘されている。こ れまで多くの先輩生理学者によって築かれてきた偉大な業績とそれを貫く生理学の伝 統的概念である機能の「統合」に関する思考の欠如が問題とされている。また、会員 数と機関誌への投稿論文数の伸ぴ悩み、機関誌の評価の低下などについての謙虚な自 己批判も聞かれる。さらに、医学生理学教育における人材の先細りも将来への危惧と なる。場合によっては「生理学」の名前そのものも消失する恐れもある。今後どのよ うな対応をすべきかについては既に本誌の巻頭言などで述べられている。21世紀へ向 かって、分子生物学から環境・応用生理までを包含した戦略研究の策定、初等・中等 教育過程からの一貫した人体生理学教育の提案、生理学教育のための人材確保の方策 などが議論されている。これらの対策の前提として、問題の背景をどのように把握し ているかを自問し、以下のように反省している。
まず、生理学の授業を担当し、研究を行っている各個人が、社会的な需要を見極めて 十分な対応をしているかどうかを考えねばならない。生理学が学生や若手研究者に魅 力あるものであるかどうか?若い研究者が生理学会に集まらず、生理学会の機関誌に 投稿せず、より先端的な分子生物学的手法を用いる分野に集中し、その分野の雑誌に 投稿するのは、古くさい車をわざわざ求めず、性能のよい酒落た車に若者が群がる状 況と似ている。このような状況に対して、ある程度は経済活動における経営感覚(セ ンス)に学ぶ必要があろう。需要のないものは削滅・廃止されるのが原則である。対 象である学生や若手研究者の生理学(会)離れやその感覚を嘆くよりも、彼らがどの ような志向を持つかを知り、対応を考える柔軟さが要求されているのではないか?新 しい動きに迎合したくないという内面には、新しい進歩についていけない能力のなさ を覆い隠す心理があるのではないか?あるいは過去の自分の思考に縛られて自由な発 想ができなくなっているのではと心配である。謙虚な自己反省と現在の潮流の理解が 不可欠であろう。また、若手研究者が最新の分子生物学的研究手法を武器として突入 して行く魅力ある生理学の方向を提示しているであろうか?さらに、研究内容が生体 機能全体の中でどのように意義付けできるかを認識させるよう努力しているであろうか?
次に、停滞を増強している要因の一つとして、生理学会が医学およぴ医学部を中心と した組織を核にしているという背景が考えられないだろうか?医学、医学部というだ けでそれ以外を排除するに十分過ぎる重みを持つ。この弊害を打破するには、医科大 学・医学部の生理学教授職に医学系以外の優れた研究・教育者を積極的に登用する必 要があろう。研究者としての業績は勿論であるが、教育者としての十分な能力のある 人材が必要である。
生理学教育の内容も、他の基礎医学科目と同様にその重要性と専門分野の進歩にこ だわって詳細過ぎる傾向がある。これを理解しにくい魅力のない講義主体に行ってい ては聞く者はいなくなり、将来基礎研究・教育に進む意欲を失なわせてしまう。基礎 医学系全般について、教育内容の見直し、簡素化と教育方法の工夫が必要である。密 接に関連する解剖・生理・生化学を従来の伝統的講義時間等に縛られずに思い切って 統合し、全体像が把握できる明快な教育内容とすべきであろう。必要以上の過剰な負 荷は学生をうんざりさせるだけである。学生からの評価を受け入れることも当然であ る。教育職にあるものがこれらについて十分な努力をしてきたとはとても言えない。
卒後臨床研修の義務化が進む状況では、ますます基礎医学離れが促進される。生理 学を含めた基礎医学教育の内容も問われるであろう。生理学の教育・研究に携わる一 人としてこのような厳しい状況を改めて自覚した次第である。