色覚異常者に配慮したカラースライドとポスター作成についての提言 (村上元彦)

これまで「石原式色盲検査表」の数字を正しく読めない人は色覚異常者とされ,なんの科学的検証もない問違った思い込みによって,入学試験や就職試験 では差別をうけ,多くの理科系の学校では門前払い,また多少とも色彩に関係ある業種への就職は困難という状態が長年のあいだ放置されてきました.生理学会 の会員の方々はすでに充分理解されていると思いますが,「石原式色盲検査表読み取り不自由者」の全部がただちに「日常生活の色彩環境に不適合者」という訳 ではありません.人権意識が高まってきたこと,また色覚差別の撤廃をキャンペーンする人々の努力によって,徐々ではあるが,一般社会の誤った認識が改た まってきたことは喜ばしいことです.かって学校保健法施行規則(1958年文部省令)に,高校を卒業するまでに4回も繰り返して色覚検査をするというナン センスな条文がありましたが,小学校の4年生のとき一度だけプライバシーに充分配慮して行うように改正されました.さらに理科系諸学校への入学試験の色覚 規制は大幅に緩和され,医学系においても色覚が正常であることを入学の案件とする学校は皆無になりました.したがって,日本生理学会においても今後は色覚 に色々な程度のトラブルをもった会員が増加するであろうことは確実ですので,あらかじめ,それらの人々を受け入れる手段を講じておく必要があります.最近 パソコンの機能が飛躍的によくなったためか,学会でカラースライドやカラフルなポスターが呈示されることが多くなりました.カラーを使うこと自体は口演や ポスターの内容の理解を助けるのには大変有効な手段とは思いますが,配色に留意して頂かないと,色覚異常者には非常に見にくいものになります.すでに小・ 中学校,高校の教科書は,色覚異常の児童や学生に配慮して,カラーの図を作成するようになっております.またARVO(アメリカ視覚眼科学会)は1996 年度の会報に,スライド作成のガイドラインを掲載し,注意を喚起しています.これらの趨勢に鑑み,視覚を研究領域に含む日本生理学会としては,他の学会に 先駆けて色覚異常の会員の存在に理解を示し,以下の要領によって,カラースライドやポスターを作成するよう,会員の替さんが配慮されることをお願い致しま す.

  • 青色と青色を基調にして図を作ること.支字や図は,簡単に大きく書き,あまり重要でない余計な情報を細字で害き込まない.
  • 緑色の背景の上に赤色の文字や図を書かないこと.もちろん,この逆も避ける.(このような配色の上に細かい字が書かれたスライドは色覚異常者にとって非常に見にくいのです.)
    (例) 背景色-緑
    文字色-赤
    背景色-赤
    文字色-緑
  • Magenta(深紅色)は使わない.(赤緑色覚異常者にとって,この色は灰色にしか見えません.)
    (例) Magentaとは
    こういう
    色です。
    (ブラウザによって色はかなり違います。)
  • スライド毎に背景の色を変えないで,出来るだけ同じ色に統一する.(背景の色がめまぐるしく変わると,見ていて非常に疲れます.)

 

そ の他,口演に際して留意して頂きたいことがあります.それはレーザーポインターの使い方です.このレーザー光の波長は色覚異常者にとって見にくい長波長で すが,輝度が高いのでようやく見えています.また光の点が小さいことも見えにくくしています.波長がもう少し短波長側によった安価な発光素子があると問題 は解決するのですが,残念ながら今のところこのような素子は無いようです.スクリーンの上でポインターをグルグルまわしたり,はじめて口演をされる方が精 神的緊張のあまり手がブルブル震えると,色覚異常者は非常に疲れます.なるべく静止した位置でポイントするか,ゆっくりと動かして下さるようお願いいたし ます.

最後に色覚異常の呼称について皆様のお知恵を拝借し,さらにご協力を得たいことがあります.「色盲」という言葉はしばしば俗語とし て使われ、色がまったく識別できないと誤解されていることは困ったことです.この言葉はマスメデイアでは,すでに差別語になっていて使用禁止である由で す.さらに色覚異常という表現も非常に嫌がる人も多くおります.色覚異常は知能障害や運動障害などを合併していませんから,正常か異常かは単に数の問題と 思いますが,日本の男性のうち300万人もの色覚異常者がいるとされていますから,果たして異常という言葉が適切であるか否か疑問に思います.また最近の 錐体視物質の遺伝子解析によれば,「色覚検査表」を正しく読める“いわゆる正常者”の赤色素タンパク質の180番目のアミノ酸がセリンであったり,アラニ ンであったり,両者では吸収極大渡長が数ナノメートルずれていて,これらはアノマロスコープを使わないと鑑別できません(1).また正常者でもX染色体上 に前後して並んでいる赤色素と緑色素のDNAのコピーの多様な繰り返しが見られます(2).さらに保因者の一部の女性では,網膜の黄斑部が色覚の正常な部 分と異常な部分とがモザイク状になっていること(3)が分かってくると,仮性同色表(いわゆる色覚検査表)は役に立たず,改めて「色覚異常とはなんだろう か」と考えこんでしまいます.そこで私は「色覚偏位」という言葉を考えて見ましたが,これも五十歩百歩の感を免れません.いっそのことドルトニズム (Daltonism)としてしまうことを提言したいと思います.ご存知のようにJohn Daltonは初めて「原子論」を提唱した科学者ですが,彼自身の色覚が異常であることに気づいて,1794年に詳しい学会報告をしたことでも有名で, かっては色覚異常をDaltonismと呼んだ歴史もあります.「癩」も「ハンセン病」に改められましたし,誤解と偏見を打破するには,呼称を変えること も一般の社会を啓発する一つの手段だと思います.呼称を少々変えても,本質が変わらなければ何にもならない,というのは正論であることは,充分に承知して おりますが,専門でない人々を相手にするには,時として便法も必要です.そこで「生理学用語委員会」で討議し,率先してこの用語を普及させて頂けたら大変 嬉しく思います.さらにもっと良い呼称のアイディアがありましたら,ご教示賜りたく存じます.

文献

  1. Nathans J, Merbs SL, Sung CH, Weitz CJ & Wang Y : Ann Rev Genet 26:403-424, 1992
  2. Neitz M & Neitz J: Science 267:l013-1016, 1995
  3. Cohn SA, Emmerich DS & Carlson EA: Vision Res. 29: 255-262, 1989