日本生理学会の問題点 (藤本 守)

大阪医科大学 藤本 守

 日本生理学会の創立は1922年(大正11年)の74年前に遡り、今日まで輝かしい発展 の歴史を遂げてきた。しかし、内外の社会情勢の変化と共に、今や改善を要する多く の問題点を抱えている。ここでは私が今まで感じてきた問題点をまとめたい。内容的 にはこれまで本誌巻頭言担当者のご指摘と類似の部分も多いが、今後の改善の資料に 役立てて頂ければ幸いである。

1)今後の学会運営について

学会という組織体の盛衰を左右するキー因子は、構成員、機能目的、規範の三要素 である。本学会が日本医学会の最も有力な分科会の一つとして、今後も発展を続ける には、会員と学会の双方向的な貢献への働きかけを一層強化すると共に、将来の医学 社会の期待に添える規範をとり得るように、真剣に取り組まねばならない。

日本生理学会の運営は、当初より「平等」と「質素」の精神で貫かれ、今もその傾 向がある。この精神は、貧乏であった学会をここまで育てるに充分の役割を果たした 。今や、会員数と評議員数の増加と共に、発表演題数も増え、学会運営は一筋縄では 行かない。それでも平等な情報交換の機会が維持され、質素ながら充分の学術交流の 実が果たされている。これはひとえに関係各位、特に大会当番幹事の出血的サービス による所が大である。学会の規模が大きくなり、機構・機能の高度化が求められる今 日では、当番幹事を“大会会長”に改め、一層の「誇り」と「権威」を与えるべきで ある。幹事の甲斐性と責任に応じて、質素か豪華の選択は任せ、学会に彩りを添える のもよい。一生に一度あるかないかの当番幹事の数知れぬ労苦と名誉を讃える意味も ある。

さらに、平等の原理に反するが、日本生理学会庶務幹事は国際的に「プレジデント 」であるべきである。その仕事と責任の範囲や重要度は単なる“庶務”の範囲を越え ている。名前も横文字で悪ければ、総長とか幹事長など、何かよい名を付ければよい 。でないと、体外的にも情報的にも対応できないからである。会則をそれに準じて改 正すべきである。

2)教育・研究面について

最近、医科大学生理学講座担当者が、日本生理学会の非会員から選ばれている状況 が増えている。これからの医科大学の生理学担当教授の日本生理学会離れが心配であ る。すでに、分子・細胞生物学者で生理学講座主任にきまった担当教授も、伝統ある 生理学会に出席し、本来の生理学の教育を行ない、生理学会や会員を育てて欲しい。

生理学とは生体機能のメカニズムを研究する科学であり、「もの」と「こと」の中 では、特に「こと」の成り立ちを重視する学問である。分子生物的手法による生命現 象の解析やコンピュータ利用等による生命現象の解析や統括など、近代的な“方法” はフルに活用されてよい。この点、生化学や薬理学などと分け隔てする理由はない。 生理学の理解には、分子や細胞等のエレメントの知識もさることながら、レベルの異 なるエレメント同士の有機的連携について統合化やシステム化が一層必要であり、「 もの」の分析から「こと」ヘの合成を通じて、一層の理解・洞察が大切な段階である 。「統合生理学」という言葉が重視される所以である。

近年の研究者教育には、全人的な教育や、研究費獲得から発表、社会へ還元する“ トータル・ワーク”の教育が求められる。医学部においては、生理学教育者は、基礎 医学の部門ながら、良き医者・研究者を育てるために、その中心的立場にある。その ワークを支援する学会が生理学会でなければならない。生理学会成立の基盤は、同士 相集まって生理学の進歩に寄与することにあり、臨床家から重視される学会でありたい。

3)専攻分野の片寄りとその是正

日本の生理学専攻研究領域は神経生理学に片寄り過ぎている。学会演題数からみて も、また講座教授の専攻領域から推測しても、その領域は植物性官能に比べて動物性 官能が多く、中でも神経生理の過剰は歴然としている。生理学研究分野は、神経や筋 肉の生理以外にも、消化器、循環器、呼吸器、排泄器等の臓器領域や、代謝生理、体 液生理、内分泌生理、生殖生理など、神秘に満ちた生命現象の領域が多い。それにも かかわらず、その研究者が少ないのが、日本生理学会のマイナス面の特徴的な状況で ある。

このアンバランスは、約30年前にlUPSのミッションとして日本を訪れたビッシャー 、フォン・オイラー、フッサールの三外国人教授によって指摘され、改善を勧告され たことでもあったが、いまだにこの傾向は依然として是正されていない。むしろ当時 に比べてひどくなっている。当時、神経生理学担当の日本の生理学の“大家”は、「 日本の特徴を活かすためにもっと神経領域を振興させてよい」と反論しておられたの を忘れることは出来ない。しかし、このアンバランスは、学会にとって大問題である 。この専攻領域の片寄りが、教育の片寄りを生み、臨床医学や社会・保健の担当者か ら日本の生理学者が見離される理由の一つになっていることは軽視できない。

当時の“大家”の主張した教育効果は、20~30年後の現在、答として具現化してき ている。当時の教授の言動や講義で教育をうけた過去の学生が、現今の教授や医者に なり、次の世代の学生を教えている。正当な啓示を与えられなかった現在の教授達は 、医学部教育の二一ズと裏腹に、現今生理学者に愛想を尽かし、研究だけでもと分子 生物学者達に希望を託して選考した結果が、現在の生理学講座教授の変異の具現化と 私は見るが誤りであろうか。講座の片寄りでは、よい教育ができまい。「教育」とは 「教える」のみならず、「育てる」ことである。この重みを知るべきである。

4)コア・ジャーナルの強化

古い学会誌や古典的な大学会は今の時代では、やや焦点がぼけ、運営が難しく、小 回りがきかないので、特異分野の雑誌や小さな学会や研究会が増え、手短かな方に皆 が忙殺されている傾向にある。これらは整理するわけにいかず、活発で独立的である ので、親学会としては、子学会との交流の実を上げる努力を行なう他はない。親学会 としては、多くの分野の人達の出席を求めたり、神経専攻者にも投稿して貰える雑誌 を作るように、当番幹事や編集幹事が尽力されている。今こそ、これらの先生方の努 力を皆の力で支えることこそ必要な時期である。学会としては、大目的で規範の一つ である会員へのサービスを強化して、分離は極力避けるべきである。