生理学と生理学教育 (栗原 敏)

東京慈恵会医科大学生理学講座第2 栗原 敏

 生理学の教育問題を考える教育委員会が昭和43年に発足し、初代委員長に藤森聞一 教授(北海道大学)が就任された。その後、8人の教授が委員長を務められ、平成5年 からは私が委員長をお引き受けすることになった。教育委員会の活動を通して、生理 学と生理学教育について考えてみた。

これまで委員会でとりあげられてきた問題は、生理学実習のあり方の検討、実習書 の刊行、基礎配属、生理学教育へのビデオの導入, minimum requirement, teacher’s training、少人数制教育など、いわゆる学部学生を対象とした生理学教育がおもに検 討されている。学部学生の生理学教育の問題は、医学あるいは歯学教育の中で生理学 をどのように位置づけて教育するかということだけでなく、大学院における教育や生 理学者の後継者養成にも深く関係している。

教育委員会では、生理学を医学教育の中にどのように位置付けていくか、また、生 理学者の養成をどのように行っていくかが常に話題になっている。その背景には、生 理学を志す若い医学部出身者が減少しており、その大きな原因の一つに、生理学その ものが従来の姿から大きく変貌していることを考えなければならない。

学部学生に対する生理学教育を考えるとき、平成3年7月に行われた法令改正によっ て医学教育が6年一貫になったことが、生理学のカリキュラムに大きな影響を及ぼし ている。法令改正により、生理学と生物学、物理学、化学などの科目との連携、およ び臨床科目との連携・統合カリキュラムがこれまで以上に考慮されるようになり、医 学教育全体のなかにおける生理学教育のあり方が模索されている。これまでのように 、生理学を独立して体系的に教えるよりも、連携あるいは統合カリキュラムが多くの 大学で採り入れられるようになった。その主な理由は、生理学という枠の中で生理学 を教えるよりも、ある医学的な問題を解決するときに生理学を学ぶ方がより実際的な 知識が身につくというものである。例えば臓器別の教育カリキュラムなどはその一例 である。しかし、一方では生理学的な考え方は、従来から行われている体系的教育を 通してのみ身につくといった意見もある。両者の教育法にはそれぞれ長所はあるが、 少なくとも、一般生理学といわれている細胞に共通な機能は、生理学的な考え方を身 につける上でも体系的に教授することが望ましいのではないかと感じている。現在の 医学教育の中で生理学教育に主に求められているのは、医師養成に必要な生理学的知 識の伝授である。しかし、生理学の後継者養成のためには、単なる知識の教授だけで なく、学生に生理学の魅力を実感させることが必要である。そのために、基礎医学教 室で研究を体験する基礎配属などが試みられている。このような試みは、卒業論文の 提出が求められない医学部教育のなかで、研究を体験させるよい機会である。しかし 、分子生物学が隆盛を極めている中で生理学の独自性を打ち出して、魅力ある生理学 を構築していかなければ、若い世代を生理学に惹きつけることは難しいのではないか と思われる。学際的研究がますます必要となっている中で、講座の再編成を行い、生 理学講座を解体して新しい研究体制を作る動きも盛んである。生理学的な研究手法や 思考過程はこれからも医学研究に活かされていくと思われるが、これまでの伝統的な 生理学のあり方は変革を迫られている。

分子生物学の発達により、細胞機能が分子や遺伝子との関係で明らかになりつつあ るが、細胞あるいは組織としての機能を知るためには、これらの分析的研究によって 得られた知見を統合して理解することが必要であり、“統合”(integration)こそ が生理学の重要な独自性の一つだという意見がある。確かに統合の重要性は十分に認 識できるが、生理学の独自性は統合にあるとしたとき、それが若い世代にインパクト をあたえることができ、生理学に多くの人を惹きつけることができるかが問われる。 教育委員会では、富田忠雄委員長の時から若手の研究者養成を推進するために、毎年 、夏期休暇を利用した生理学研究所主催の実験技術法に関する研修会を共催してきた 。これまでの、学部学生に対する生理学教育問題から一歩踏みだし、生理学の後継者 養成を考えてのことである。本年も、分子生物学に関する講演と、8項目にわたる実 習を岡田泰伸教授(生理学研究所)に企画していただいたところ、67名の定員に対し て220名の応募があった。大学院生の応募が多かったこと、また、学部学生の応募も 相当数あったことが印象的であった。しかし、医学部あるいは歯学部の生理学教室に 所属している人の応募者は多くない。今後、医学部および歯学部における生理学の後 継者の人材を、どこに求め、どのようなカリキュラムで育成していくのか、具体的な 方策を考えることが生理学研究と生理学教育の緊急課題ではないかと思われる。