001. 2光子励起法を用いたインスリン開口放出過程の可視化

2光子励起法は厚みのある生体組織の蛍光観察に、現在最も適していると考えられる手法である。筆者らはインスリン分泌組織である膵 島にこの方法論を応用し、開口放出をおこす融合細孔の動態をナノメーターの空間解像で計測することに成功し、さらに細孔の分子組成を明らかにした。

インスリンは脊椎動物の身体で糖代謝や成長にかかわる重要なホルモンである。このホルモンが適切に分泌されないと、糖尿病が誘発される。糖尿病は遺伝的 素因と環境因子が重なり合わさって発症する生活習慣病であり、我国においては現在690万人以上の人々が罹患している。放置すると、人生の質に関わる視力 低下や神経障害・腎機能不全などを起こすので、その原因の解明と治療法の開発は社会的に急務である。

まず、フェムト秒超短パルスレーザーを光源とする2光子励起顕微鏡と、水溶性蛍光色素を用いることにより、膵島の深部で起きているインスリン分泌を定量 的に検出する実験系を確立した。そして、インスリン顆粒と細胞膜との間に小さな孔(融合細孔)が形成され、その後インスリンが分泌される過程を明らかにし た(図1)。一般に2光子励起法では、色素による内部遮蔽効果が生じず、また励起波長領域が広がるので、組織深部における高濃度色素による同時多重観察が 初めて可能となる。そこで、大きさの異なる複数の水溶性蛍光色素を用いることにより、組織内部における融合細孔の動態をナノメーターの解像で測定すること に成功した。その結果、インスリン顆粒の融合細孔は安定で、直径1.4 nmから12 nmに広がるまで3秒もかかり、直径が12 nmに達すると内容物が放出され、顆粒膜は細胞膜に平坦化することが判明した。インスリン顆粒の融合細孔が特に安定しているのは、顆粒内容物が結晶化して いるためであると考えられた。そこでこの安定性を利用して、融合細孔の内側における脂質拡散定数を測った結果、細孔は膜脂質で構成されたナノチューブであ ることが強く示唆された。開口放出を起こす蛋白質群はこの脂質性ナノチューブの構造形成を触媒すると考えられる。

こうしてインスリンの分泌過程をナノメーターの空間解像度で解析する強力な測定系を確立した。本手法は、分泌に関連する蛋白・脂質分子の機能の解明や、 糖尿病の病因の解明、新しい治療法の開発に威力を発揮していくだろう。この結果は8月23日発刊の米科学誌サイエンス(Takahashi N., Kishimoto T., Nemoto T., Kadowaki T & Kasai H., Science 297, 1349-1352, 2002)に掲載された。2光子励起法 インスリン

図の解説

pict20051126134741A)蛍光色素でランゲルハンス 島の細胞間隙を染め、一個のベータ細胞を観察した。黒い矢尻は静脈、白い矢尻は毛細血管である。B)丸で囲んだ領域の蛍光の時間変化を示す。この様な蛍光 変化は、C)に示す様に、インスリン顆粒が細胞膜に融合することによる色素の流入と、顆粒膜と細胞膜の平滑化による顆粒内容物の放出を表す。D)Bで観察 している部分の実際の画像。小さな点が分泌中のインスリン顆粒である。下の明るい構造は毛細血管。インスリン開口放出はこの様に血管に対してでなく細胞間 隙に主として起きて、拡散により血管に運ばれる。異なる分子量や脂溶性を持つ蛍光色素で同時染色することにより、更に融合細孔の特性が明らかになる。