我々は、脳の左半球と右半球は構造的にも機能的にも明確な違いがあることを、初めて分子レベルで明らかにした。この成果は米科学誌Science 2003年5月9日号に掲載された (Science, 300 (5621), 990-994, 2003)。
脳の左半球は言語や論理的思考において、一方右半球は音楽や直感的思考において重要な働きをするなど、脳の働き方が左右で異なることは広く知られている。しかし、脳の機能的な非対称性がどのような仕組みや構造に基づいているのか等を、分子レベルから説明できるような事実は知られていなかった。
我々は、比較的簡単な回路構成からなるマウス海馬に注目し、海馬シナプスNMDA受容体の薬理学的特性(NMDA受容体NR2Bサブユニット選択的阻害剤Ro 25-6981に対する感受性)、シナプス可塑性(LTP)の生後発達、およびNMDA受容体サブユニットのシナプス分布などを解析した。その結果、マウス海馬シナプスには機能的、構造的性質の異なる2つの種類があることが解った。これらは、(a)NR2Bサブユニットの分布が多く、Ro 25-6981感受性が高く、可塑的性質の生後発達が早いシナプス。および、(b)NR2Bサブユニットの分布が少なく、Ro 25-6981感受性が低く、可塑的性質の生後発達が遅いシナプスである。また、これら2種類のシナプスは海馬の左右、および錐体細胞の上下に関して非対称に配置されており、さらに同側入力と反対側入力の間ではその非対称性が逆転していることが解った(図を参照)。我々結果は、脳はその構造的階層性(神経細胞、シナプス、神経回路および左右の脳半球など)の各レベルで様々な非対称性を持ち得ることも示唆している。
左と右の非対称性は脳だけが持つ特別な性質ではない。たとえば、我々の心臓や胃は体の左側にあり、左右の肺は大きさや形が異なっている。これら内臓系の非対称性を作り出す機構に関する研究は、近年めざましく進歩しつつあるが、これに対して神経系の左右差やその形成機構に関しては、ほとんど解っていない。今回、比較的簡単な脳神経回路の基本的な性質に明確な非対称性があり、それを機能的および構造的な解析手法によって検出できることが明らかになったことにより、これらを『手がかり』として、(i)脳の機能的、構造的非対称性が何時、どのようにしてできあがるのか。(ii)左半球と右半球の神経細胞を特徴づけている性質は何か。(iii)左と右という性質は複雑な脳の構造を作り上げ、それを適切に機能させるためにどのような意味があるのか。等の研究が飛躍的に進歩すると期待される。