ウイルスは、宿主を利用して自己の複製を行いますが、宿主のRNA分子における化学修飾の仕組みを免疫回避などに巧みに利用することが知られてきました。コロナウイルスに対するメッセンジャーRNA(mRNA)ワクチンはこの性質を応用しており、予め人工的に修飾したmRNAワクチンを投与することで、修飾されたmRNAを細胞が異物として認識しにくくなるため、ワクチンとして使用できます。
このたび、ヒト免疫不全ウイルス1型(HIV-1)がヒト細胞で感染/複製する際に、ヒトのトランスファーRNA(tRNA)の修飾を利用する2つの仕組みを解明しました。1つ目に、HIV-1のゲノム複製時の役割として、ヒトのリジンtRNAの58塩基目と54塩基目のメチル化修飾が、HIV-1ゲノム複製に必要な逆転写の適切な位置での停止に重要であることを証明しました。2つ目に、HIV-1タンパク質とウイルス粒子の合成においても、tRNA 58塩基目のメチル化機構が重要であることを発見しました(図参照)。
HIV-1が引き起こす後天性免疫不全症候群(AIDS)は、現在はその進行と発症をかなり抑えられる病気です。しかし、HIV-1は複製の際に変異しやすい特性があり、その薬剤耐性化が問題になっています。本研究成果により、tRNAのメチル化がHIV-1の複製に必須であることが明らかになったため、このメチル化を標的とすることにより薬剤耐性化が起こりにくい画期的なAIDS治療薬の開発につながる可能性があります。
Fukuda, H., Chujo, T., Wei, F.-Y., Shi, S.-L., Hirayama, M., Kaitsuka, T., Yamamoto, T., Oshiumi, H., and Tomizawa, K. Cooperative methylation of human tRNA3Lys at positions A58 and U54 drives the early and late steps of HIV-1 replication. Nucleic Acids Research(2021) gkab879, doi: 10.1093/nar/gkab879.
細胞のtRNA 58塩基目のメチル化酵素遺伝子に変異を導入して働きを大幅に低下させ、HIV-1の逆転写酵素の働きやウイルス合成量を調べた結果、58塩基目のメチル化はHIV-1逆転写酵素が適切な位置で停止するために必要であることを証明しました【上側の赤文字】。また、tRNA 54塩基目のメチル化は、試験管内で逆転写を止めることが知られていましたが、ウイルスにとって重要かは未解明でした。そこで、HIV-1とその近縁種であるサルやネコのウイルス配列を比較した結果、リジンtRNAとの配列相補性が54塩基目の手前まで保存されていることを見出し、54塩基目のメチル化もHIV-1のゲノム複製に重要である可能性を示しました【上側の青文字と緑文字】。さらに、これまで全く予想されていなかった新しいこととして、ヒトのtRNA 58塩基目のメチル化酵素は、HIV-1タンパク質の蓄積とウイルス粒子の産生に重要であることを発見しました【図の下側】。